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ひとりごと

心のなかを旅する

年度終わりにはじめまして

えー、ここを覗いていらっしゃる方は大体わたしのことをご存知だと思うのですが、改めて書きます。

はじめましての方ははじめまして。「しののめ」と申します。

年度終わりに何かをはじめるっていうのも変な話ですが、このたびブログなるものを久しぶりに始めてみようかな、と思いました。

以前書いていたのは中学生の頃だったので、4、5年ぶり?

あ、年齢ばれちゃうな、まいっか。

あの頃はとりとめもなく日々のあれこれを書いたり、くさい小説なんかを乗っけたりしてましたが、今回はすこしあの頃とは違ったことを、ちょっとした目的があって、それについて書いていこうかな、と思っています。次の項から、掘り下げて書くので、とっても長くて、ちょっと暗くて重いかもしれない、そんなお話ですが、お時間のある方は、お付き合いいただけると嬉しいです。

 

 

「あなたはこの3日間何をしたい? 何を食べてどんな風に過ごしたい?」

 3月初旬、横田米軍基地に3日の間ホームステイをしてきた。その、ホームステイ先のホストマザーにいちばん最初に聞かれた質問であり、また、私がいちばん戸惑った言葉が、これだった。英語ができなかったとか、そういう次元ではなかった。

 私は、ホームステイ先の家族のその日の予定というものが必ずあるだろうから、私はそれに従って動こうと、そう思っていた。ただ、その家族に言われたことや、家族のやりたいこと、やるべきことに従って、のほほんと3日間過ごすつもりだったのである。もともと、その家族に小さなお子さんがいたこともあって、自分のしたいことを明確に決めていって、それを主張して困らせてもよくないと思っていたのもある。つまりは、ホームステイ先でどんなことがしたいとか、どういう風に過ごして何を勉強したいだとか、そういったことは全く考えていなかったし、そんなことを聞かれるとも思ってはみなかったのだ。そのときは苦し紛れに、基地にあった施設などを思い出して「買い物に行ってみたい」「お母さんの手料理が食べたい」「小さい子とボーリングしにいきたい」などと答えたが、帰ってきてからもその質問はぐるぐると頭の中で回っていた。

 

はたして、わたしはホームステイ先でなくても、自分がしたいことを主体的に決めているんだろうか。また、決めていたとして、それは本当に自分のしたかったことなんだろうか。「こうしたい」ではなく「こうしたほうがいい」で動いてはいないだろうか。

 

 そう思って自分の生活を俯瞰してみると、意外と「こうしたい」と思って行動していることは、本当に少ないことに気が付いた。1日朝起きてから寝るまでの細かいことから、1年の大きいスパンで見てみても、本当にすくない。寧ろほとんどないんじゃないか、というくらい。

 あれ、そもそも、自分がしたいことって、なんだろう。わたしって何がしたいんだ?

 いつの間にか、わたしは自分の「やりたいこと/したいこと」を全く見失ってしまっていた。

 

 思えば、私は結構早い段階で自分のやりたいことやしたいことを、自分で埋めてしまったのかもしれない。始まりは多分、中学校1年生のころだったように思う。

私は、気恥ずかしいけれど、そのとき、シンガーソングライターになるのが夢だった。

もともとピアノを弾いたり、歌を歌ったりすることが好きだったこと、また、小学校3年生のときにはじめて作曲をしてから、曲を作ることに何とも言えない楽しさを見出していたのもあって、それをかなえるいちばんの職業がそれだったのだが、そうでなくても作曲家だとか、とにかくそういう職業に就きたかった。

そこで、音楽大学に入ることを決意し、中学校1年生の最初の進路提出でとある音楽大学付属高校の名前を書いたのだが、残念ながらそれは両親が猛反対した。

苦労させたくないという親心があったのだろう、「いい成績をとって偏差値の高い学校に入ってほしい」というのが彼らの願いだったため、私はその言葉通りに必死で勉強し、父の勧めた高専(工業高等専門学校)に入ったのだが、果たしてその全部が全部自分がやりたくてやったことかと聞かれたら、よくわからない。だんだん「したいこと」より「しなくてはいけないこと」「したほうがいいこと」を優先するようになったのはこのころからだったと思う。

 勉強はともかくとして、高専に入ったことは、自分の意志だった。だけれどそこに特に明確な思いはなく、ただなんとなく文化祭にいってみたら面白そうな学校だったから、県内の学校には行きたくなかったから、国立って響きがかっこいいから、などといったふわふわとした幼い理由だった。また、研究職についてみたいなと口では言っていたものの、研究職が具体的にどんなものか全く理解していなかった。ただ、なんとなく試験管やらフラスコやらを相手に日夜汗水たらして白衣を真っ黒に汚している先輩方がかっこよかったからとか、ほんとうに夢を見ているようにいろんなことを見た目や雰囲気でふわふわと決めていた。それは3歳の男児が「ヒーローってかっこいい、ぼくもなりたいな」というような、きわめて非現実的で甘い考えだった。今振り返ってみると、まだ、シンガーソングライターまたは作曲家になりたいなと言っていた時のほうが、色んなことをきちんと明確に現実的に、自分の意志で考えて、選択していたように思う。色々努力はしていたけれど、なんだか空虚だった。何かに噓をついている気がした。

 

 そして、そういう風に何か違和感を持ち続けながらの努力は、やはり続かないもので、ついに高専2年生のとき、はじめて私はD単(高専の成績制度で単位として認められない科目単位のこと)を取ってしまった。しかも、それは化学を扱う現場の最前線に立たされる技術者のなかで最も大事で、取得単位数の一番多い「実験」の科目だった。

思えば最初から実験室に立っていることさえ、結構苦痛だった。本当に。思い返してみれば私は「計算」も苦手だし、「違うことをいくつも同時進行で考える」ことも苦手で、「てきぱき動くこと」も苦手なうえ、「論理的思考能力/数学的思考能力」にも乏しかった。さらに「自分ひとりでじっくり考えること」も不得手ときた。渡された実験テキストを読んで理解する、それだけのことすら困難だった。なんでみんながあんなによくできるかわからなかった。こんな、何もかもできない、わからない、みたいなことは初めてで、周りに助けを求めようとしたけれど、何でもかんでもすべて頼りっきり、というのはだんだん続かないのは目に見えていた。また、自分がそれまで頑張っていたこともあってか、変な「矜持」が私がクラスメイトに聞いたりするのを邪魔していた。クラスに何か貢献していないと、こんなに頼りきりではみんなに見捨てられてしまうんじゃないか、とも思っていた。

 そこで先生に色々聞いてはみたけれど、あまりに全てがわからなさすぎて、何がわからないのか自分でもわからないので1から確かめるように聞いていたら、時間がかかりすぎて、なんだか気がめいってしまって、足が教官室に向かなくなった。そのうち、実験ノートの出来の悪さや実験レポートの提出遅れで逆に先生から呼び出されて、お話を受けることが多くなった。私はすっかり問題児になっていた。

 赤ペン修正だらけのレポートとノート、実験室のめまいのするような薬の匂い、すべてがいろいろなやる気を削いでいった。わたし何でこんなことしてるんだっけ、と思うことが増えた。先生にお話を受けている間、わけもわからないで泣くことも多くなった。なんで泣いているのか自分でもわからないので、なんで泣くの、ときかれてもよくわからない。そのうち、なぜか体も壊して、定期的に点滴を受けるようになったが、自分が何でこんなことになっているのかは、てんでわからなかった。

 

 その間も、音楽は続けていた。なぜか、ずっと続いていた。

高専1年生の冬に、ちょっとだけ運命的な出会い方をした先輩と組んだ、ジャズバンドは、ほんとうにたのしくて、それがだいぶ自分の中で救いになっていた。

おそらく、それが、そのときやっていたもののなかで、いちばん「やりたいこと」に近かったのだと思う。自分のやりたいことが、そこでちゃんとできていたから、救われていた。当時は全然そんなこと考えられもしなかったけれど。

しかし、それも高専3年生になって、いろいろなことが重なり、続かなくなってしまった。わたしのなかの、すべてのバランスがそのとき一気に、全部、すべて崩れた。

 

 何を思ったか、その日、私は実験の授業を丸々休んだ。実験は必須科目であり、絶対に休んではならない授業である。欠席した場合、公欠届といって、きちんとした医師の診断書を提出しないと、単位はもらえない。必須科目の単位がもらえないということは、すなわち、それは進級不可、留年を意味する。頭ではわかっていた。しかし、私は休まずにはいられなかった。本当に、これはここに書ききれないくらい色々なことが重なって、私は、その日、実験を無断欠席した。もうどうなってもいいや、と、すこし自暴自棄になっていたのかもしれない。

その日から、すこしずつ物が食べられなくなった。ひとが怖くなって、なんだか自分がよくわからなくなって、ひとのことも、よくわからなくなった。

 

 それを心配してくれたのが、今の彼氏さんで、私はそのころ、そのひとと3時間くらい電話で話すのを日課とした。自分のことをゆっくりでもいいから少しずつ話してほしいといわれて、普通の人に言ったら引かれること、嫌われるんじゃないかって恐れてなかなか言えない考えなんかを話しているうちに、不思議と気持ちが落ち着いた。それと同時に、いままでなんだかふわふわしていた「自我」のようなものをすこしだけ取り戻せたような気がした。また、そのひとからの意見を聞くうちに、自分がひとからどう見られているのかも、よく理解することができた。これは本当に大きな進歩だったと思う。ひとからどう見られているのかを理解すると、ひとのことを恐怖しなくなった。

わたしはそのひとに、自分を全部まるごと受け入れてもらえるような気がした。

 しかし、とても不安定だった私はそのひとに自分の気持ちを落ち着かせることを頼りすぎたあまり、だんだんそれも雲行きが怪しくなった。また、そのとき友達とのかかわりも殆ど絶ってしまっていた(これは思い込みだったのかもしれないが)私は「このひとに見捨てられたら終わりだ」とも思ってしまっていて(これも盛大な思い込みだったと思うのだが)、すこしの拒絶でも大きく自分の心のバランスを崩していた。俗な言葉でいうならメンヘラで、本当にめんどくさい女だったと思うし、実際今でも完治はしていないので、めんどくさい女である。

 

 そうして、勉強にも実験にも身が入らなくなったわたしは、再実験すらろくにできず、留年が決まり、その彼氏さんへの気持ちすらぐちゃぐちゃになって、すべてもうほんとうによくわからなくなって、夜中家出して、自殺未遂をして、危うく警察沙汰一歩手前になって、それが学校にもバレて、心配した当時の担任の先生によって休学の手続きをとったのだった。

 

 自殺未遂をしたといったが、「死にたい」という思いや「迷惑かけてばっかで消えたい」という罪悪感 も、もちろん強くあったのだが、それよりも「自分が何を考えているのかわかんなくてぐちゃぐちゃで、衝動的になにか刺激のあることをしてしまった」という感じだった。自分が何をしたいのか何がやりたいのかよくわからなくなると、本当に自我や自分が何を感じているのかが埋まってしまって、離人感が強くなって、自分を確かめるすべがなくなる。そのころ明確に「自分がちゃんと自分の感情を感じているな」と思えるときといえば、私の場合は、癇癪を起こしてなにかまくしたてているときと、痛みを感じているときと、ひとと音楽している時と、あとは、逸脱した自慰行為や性行為をしているときくらいだった。

 

 休学している間も、私の気持ちはなんだかふわふわしていた。私は学校へ行けなくなったのは、実験が下手だったせいで、実験がうまくいけば、学校へ通ってられたんだ、とそう思っていた。なので、今は一時的に休学しているけれど、学校に復帰したら、きちんと実験をこなして、そうしたら、またもとのように過ごせるんだと、本当にそう思い込んでいた。実験がどうしてこんなにうまくいかなかったのか、その原因についてはよくよく考えていなかった。なんだかうそをついているような感覚はここでも続いていたけれど、わたしはそれについて見て見ぬふりをしていた。

 

「きみのやりたいことって本当は違うんじゃないかな?」

休学から復帰して、実験の面倒を見てくれるようになった研究室の先生が言った。

私は最初先生が何を言ってるのか、やはり理解できなくて、頭がまっしろになった。いつの間にか自分が将来何になりたいということも、そもそも自分が何を望んでいるのか、何をしたいのか、すべてまったくよくわからなくなっていた。ただただなんとなく流されるままに日々を過ごして、とにかく実験はこなさなきゃ、学校には行かなきゃ、とそればかりになっていた。男女づきあいに関しても、相手の言うままになって、相手の気に入るような格好をして、相手のためにほんとうになんでもしていた。そこに自分はなかった。

 

あれ、わたしって、なにがしたいんだっけ、わたしのやりたいことって、本当はちがうのかな。と、そう考えてはみたけれど、うまく考えられなくって、やっぱり涙ばっかり出てきた。私は何がこんなにかなしいんだ。なんで泣いてるんだろう。全部わからなくてぐちゃぐちゃになった。ぐちゃぐちゃになるたび、なんとなくピアノにぶつけることにした。実験のリハビリをしている半年の間、いくつもいくつも曲を作った。曲を作るたびに、自分のその時の気持ちがわかるような気がしていた。それと同時に、「ああ、わたしはやっぱりこれがいちばんしたいことなのかもしれないなあ」とそう思った。思ったところで、そう簡単にかなえられるものではなかったけれど。曲を作ってはネットにあげてを繰り返しているうちに、わたしの曲を好きだといってくれるひとがふえた。すごくうれしかった。日々がどんどん明るくなるような気がした。

しかし、そればかりやっているわけにはいかないもので、ふと気が付くとやっぱり、したいことより、やらなきゃいけないこと、したほうがいいことを優先してしまっていたりする。確かにそれも社会生活を営んでいくためにはとても大事なことなのだが、あまり優先しすぎていると、また、自分が何をしたいのかよくわからなくなってくる。自分で自分のしたいことをきちんと考えて実行することを習慣にしていないと、いつの間にかまた自分が埋没していく、そしてそれを習慣にするためには、わたしの今置かれている状況ではあまりにも難しかった。

 

よって、すこしでも自分の気持ち、自分が何を考えているのか、何をしたいのか、などを吐き出す場所が必要だと思った。実行はできずとも、日ごろ何を思っていて、本当はあのとき何がしたかったのか、どうすれば自分の気持ちに正直にできたのか、書くだけでも、何か変わるかな、私が本当は何を考えていて、何を望んでいるのか知ることができたらいい。それから、わたしと同じようなことで悩んでいるひとはいるのかな、もしいたら、そういうひとたちの反応ももらいたいな、と思って、全体公開のブログを書くことにした。

 

なので、今日からつたない文章でつらつらいろんなことを掃き溜めていくつもりなのですが、何か反応をもらえたら、うれしいです。しょっぱなから長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。それでは、今日はこの辺で。